15年ぶりにトイレに物を落としたはなし
駅のトイレにポーチを落とした。
駅のトイレの便器の中に、大切なリップと大切な目薬が入った 大切な可愛い可愛いポーチを、落とした。買ったばかりのチークも入ってた。
朝からグループディスカッションと午後には説明会をハシゴする大変な日だっていうのに、1日の始まり方が最低すぎる。
トイレの個室の中の小さな棚にリクルートバッグを置いたのが諸悪の始まりだった。
いや、リクルートバッグは自立して倒れないものだという先入観が原因だったのだろうか。
「朝イチでグループディスカッション、得意ではないがどうにかここは合格して面接まで漕ぎ着けてやる」
方向音痴のわたしは 気合い充分でめちゃめちゃ早く家を出た。
めちゃめちゃ早く駅に着いた。
「就活に限った話ではないが、人の見た目は大切だ。どうにか良い印象を残さなければ」
わたしは駅のトイレに入った。トイレの鏡の前で化粧と髪型を確認しようとも思ったが、空いていたのでなんとなく個室に入った。
棚の上にリクルートバッグを置き、鏡を出した。
鏡を見ながら(今すぐにトイレを出ても早く会社に着いてしまう、どこかで時間を潰すにも中途半端な時間だ)なんて考えていたら、
次の瞬間、
カバンが、落ちた。
落ちるはずのないと思っていたカバンが、落ちた。
よく「あの瞬間は本当に世界がスローモーションで見えましたぁ〜」なんて言っている女がいるが、まさにそれだった。
まるで映画のように ダイナミックに ゆっくりと カバンが棚から落ちた。
カバンが床に落ちる途中でポーチだけが飛び出てきて便器にダイブした。しかも途中でポーチの蓋も開いた。
なんて自己主張の激しいポーチなんだ。
人間こういう時は反射的に身体が動くものだ。
わたしは便器にの中に迷わず手を突っ込み、便器の中に散らばったポーチと目薬とチークを救出した。
トイレットペーパーを素早く巻き取り ポーチを覆い、目薬を拭いた。
ある程度水分を拭き取ったとはいえ、トイレに落としたポーチをそのままカバンにしまうのは抵抗がある。
ここで わたしは 濡れた折りたたみ傘を入れる用にジップロックをカバンに忍ばせていることを思い出した(折りたたみ傘は持ってないのに。)
大量のトイレットペーパーとまだ少し濡れているポーチと目薬とチークをジップロックに入れて蓋を閉めた。
我ながら完璧な素早い対処だ…
うっとりしながら便器の中に目をやると ポツンと寂しそうなリップが目に入った。
マジかよ、まだそこにいたのかよ
その時のわたしはもう興奮状態ではなくいたって冷静だった。
便器に手を突っ込もうとは思わなかった。
しかし何をどう考えても 手を突っ込む以外にリップを引き上げる方法はなかった。
「一度手を突っ込んでるから、二度も三度も同じだ」と自分に言い聞かせながら 泣く泣くリップを救出した。
ものの3分で二度も便器に手を突っ込んだという事実に絶望しうろたえ、トイレのドアに思いっきりぶつかってめちゃくちゃデカイ物音を立ててしまった。
トイレに並んでいる人たちの視線を独り占めしたと思う。
トイレの中にいたから見えなかったけど。
わたしは何食わぬ顔でトイレの個室を出て 手をよく洗った。いつもの百割り増しくらいよく洗った。
会社までの道を歩きながら
「今周りにいる人たち全員、わたしが朝から便器に手を突っ込んだ なんて誰1人思っていないんだろうな、なんて平和なんだろう」なんて考えた。
わたしからしたら 朝から災難に見舞われて全然平和じゃない。
グループディスカッションを無事に終えてスタバに入り サンドイッチをレジに持っていこうと手を伸ばした。ガラスのショーケースで手を思いっきりぶつけて 店員さんに苦笑いされた。
自分では平静を保っているつもりなのに、ショーケースのガラスも見えないほど心の奥底は動揺していたのだろうか。
何をやってもダメな日は本当に何をやってもダメ。
今日の良かったことといえば スタバのサンドイッチに思ったよりも沢山ハムが入っていたことくらい。
あと、トイレが新しい綺麗なトイレだったことが不幸中の幸い。
そのほかは全部ダメダメだった。
朝から酷い仕打ちを受けたんだから、今日のグループディスカッションに合格して 一次面接も二次面接も社長面接もすっ飛ばして 内定をくれるくらいのことをしてくれないと割に合わない。
人はハハッて笑って シクシク泣く。
8×8=64、4×9=36
64+36=100
人生は64%の楽しいことと 36%の悲しいことで出来ている。
今日のトイレ事件は人生における36%の悲しいことの大部分を占めているから、残りのわたしの人生はほとんど楽しいことしかない。
そう思うことが幸せだと思う。
バカだから 自分をそう洗脳できる、バカでよかった!!!!バカ万歳!!!!!!
ところで、トイレに落としたリップはまだ使えますか?